2018年は脚光の注目を浴びている米津玄師さん。
今や若者の中で米津さんを知らない人は居ないのでは?と思うほど、その人気は底知れませんよね。
また、米津玄師さんは数々の名曲を生み出してくれていますが、その中でもバラード曲である「灰色と青」は人気の1曲となっています。
今回はその「灰色と青」の歌詞にどのような意味が込められているのか、個人的な考察と解釈を交えながらお伝えしたいと思います。
※一人一人歌詞の解釈はそれぞれ異なるので、「私はこのように感じた」という観点で読み進めて頂ければと思います。
コンテンツの内容
タイトルに込められた意味は?
タイトルの「灰色と青」ですが、これは色の無いモノクロ世界では灰色に見えるが、色の付いたカラフルな世界ではそれが青く透き通って見えるという印象を受けました。
恐らく昔は新鮮な気持ちだったものが、今ではすっかり大人になって色んな経験も重ね、味気ない日々を例えているかもしれないですね。
1番Aメロの解釈
袖丈が覚束ない夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景
たくさんの遠回りを繰り返して
同じような街並みがただ通り過ぎた
窓に僕が映ってる
「袖丈が覚束ない」という表現はあまり聞かない言い回しですよね。
なのに、なんだかしっくりくるのが不思議。
曲の1フレーズ目から私は、米津さんの才能のようなものを感じました。
ちなみに、これは半袖から長袖に移り変わる季節(夏から秋)に掛けて、気温が肌寒くなってきた事を表しています。
そして、「たくさんの遠回りを繰り返して」の部分は、降りるはずだった電車を降りずに何周も乗っている様子と、過去に遠回りした(彼女や初恋の人との)思い出2つの意味を表しているのだと思います。
1番Bメロの解釈
君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい
1番のBメロは「君」との回想を表しています。
ひしゃげる=押しつぶされて潰れた様子のこと。
自転車で走り回ったり危険な綱渡りをして怪我をしたりするも、あの頃の楽しかった懐かしい思い出。
昔の純粋で無邪気な時の記憶が、灰色と青の「青」の部分を物語っており、そして現在、その記憶を思い出している自分の状況が「灰色」の部分を意味しています。
1番サビの解釈
どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う
1番のサビは、幼き日々のように輝いていた出来事が、成長して大人になっても変わらずに続いていて欲しいという願いが込められています。
今はそのような思い出に等しい「何か」を持ち合わせていない為、恐らく昔の思い出に浸る事しか出来ない状況なんですね。
しかしそれが唯一、自分の中で励みになっているという事です。
2番Aメロの解釈
忙しなく街を走るタクシーに
ぼんやりと背負われたままくしゃみをした
窓の外を眺める
心から震えたあの瞬間に
もう一度出会えたらいいと強く思う
忘れることはないんだ
2番のAメロ部分は周囲が忙しなく過ぎて行く中、対照的に自分はそれに付いていけていない事が述べられています。
それを「背負われた」と表現しているのです。
そして「心から震えたあの瞬間」というのは幼い頃に感じた体験を表し、その頃に戻ってまた「君」と出会いたい。
さらに、恋に落ちる感覚をもう一度味わいたい。そういった情景が読み取れます。
2番Bメロの解釈
君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている
「靴を片方落としても、僕ら2人なら見つけられる!」このように、昔だとどのような困難があってもポジティブな方向に考えられたが、今はそうでは無い事を指しています。
そしてそれを「君は今もあの頃みたいにいるのだろうか」という表現を通して、自分はそうではないと自分自身を否定しているのです。
2番サビの解釈
どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う
「終わらない毎日に花束を」ここの解釈は人それぞれあると思いますが、1つ目としては「花束」=「旅立ち」を表しているパターンです。
新たな人生のステップに差し掛かる時(卒業式、結婚式、葬式など)、人は花束を用いる事が多いですよね。
ここでは思い出の「君」から早く卒業したい(忘れたい)が、その当時の記憶が忘れられない(面影を追いかけてしまう)という事が描かれています。
そして2つ目が「花束」=「感謝」を示しているパターンです。
「君」が居てくれたことに毎日感謝している。しかし、それが幸せであったが今は苦しくもある。
このような事が言えると思います。
Cメロの解釈
朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何故か訳もないのに胸が痛くて
滲む顔 霞む色
「君」もどこかで自分と同じような景色を見ているのなら、「君」はこの景色が何色に見えるだろうか?
そのような事を考えると、胸が苦しくなってしまう。
ツラい。苦しい。逢いたい。
3番サビの解釈
今更悲しいと叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度初めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい
こんなにも悲しい思いをするくらいなら、「君」と出会わなければ良かった。
もう一度「君」と出会ってやり直せるのなら、今度は「君」に恋心を抱かない人生を歩みたい。
大サビの解釈
どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う
先程は「君」に出会わなければ良かったと言ったが、やっぱり「君」が居なきゃ嫌だ。
「君」との思い出が自分にとって大切なものなのだ。
このように、自分の中で「君」の存在を改めて感じてしまう様子が見受けられます。
アウトロ(終結部)の解釈
朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色
最初の朝日を見た時は、「君」はどうしているだろうか?という事を考え、胸が痛む描写が描かれていましたが、今はそれを「あくまで過去の思い出」という風に踏ん切りがついて、笑い飛ばせる様子が感じ取れています。
そして、自分は「灰色」の世界から「青」の世界へと進んでいくのです。
こうした歌詞の意味を考えると、改めて米津玄師さんの魅力や才能に驚かされます。
実際には私が気づいていないだけで、より深い解釈や別の解釈をする方もいるかと思いますが、それぞれが腑に落ちるように歌詞の意味を捉えて頂いて結構だと思います。
解釈は人それぞれなので(^^♪
別の曲でも考察する機会があったら、またその都度記事にしてお伝えしていきますね。